蓼派の小唄

蓼胡蝶

 蓼派隆盛期の写真
 蓼派会二代目会長蓼胡満喜のお浚い会記念写真

蓼胡蝶

 会主は中央前列の初代家元の左隣・後列男性(村上元三、土師清二、山岡荘八)


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よきことを

初代蓼胡蝶作曲

本調子

よきことを 菊の御紋のありがたや
御世も栄えてましむます エーェエェお目出度や

白扇

 

本調子

白扇の末広がりの末かけて かたき契りの銀要
かがやく影に松ヶ枝の 葉色も勝る深緑
立寄る庭の池澄みて 波風立たぬ水の面
うらやましいではないかいな

粋なお方

木原 胤詞・初代胡蝶曲

三下り

粋なお方の妻になと 植えしは誰か蓼の草 虫が好いたか情けのかげに
露を命と飛ぶ胡蝶。(新暦仲秋九月)

染めあげて

 

三下り

染めあげて 出たかお江戸の初茄子 色の苦労を
そのまま乗せて 篭に嬉しい 夢のあと

今宵妻

 

本調子

故郷に今は旅寝の物憂さを 酒にそやされ格子先
染めなす秋の色種の どの傾城を今宵妻
軒をこぼるる稲妻の そのはかなさは一夜さの
枕のみかわ 人の世もまた

三日月の頃より

 

本調子

三日月の頃より待ちし今宵こそ 逢わねばすまぬ胸のうち
あれ気にかかる村雨の 霽るる思いを八尾松の
待つ間もあらでこの笑顔 嬉しい首尾ぢゃないかいな

今さらに

 

本調子

今更に愚痴は言わねど主ゆえに 捨てたこの世の玉の輿
立てし浮名も恋の意地 人がそしろが蓼の虫

置炬燵

 

三下り

置炬燵 ついうたた寝の 耳もとに そっと忍んで
夕闇の 「おや 雪かえ」 障子細めに 吹き込む風も
肌にうれしい 酔ひごこち

白菊

 

本調子

白菊の目に立てて見る塵もなし 糸の音締めに夜も更けて
いなせともなき今日の月 またの逢瀬を枝折戸に
虫さえ泣いているわいな

念がとどいて

 

三下り

念がとどいて こうなるからは 風も嫌 雨も嫌
解けた素顔に春の酔 こちゃしっぽりと川船の
流れも深く竿の露


小唄・蓼派会


よきことを

よきことを

[解説]
明治期に作られた端唄を小唄に写したものとされている。
大正14年、小唄の稽古所を開いて間もない時期の第一回のお浚い会(新年のお弾初め)で会の幕開けに演奏し、以来家元主催のお浚い会では毎回、幕開けにこの曲をご祝儀曲として演奏していた。

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白扇

白扇

[現代語訳]
白扇が末広がりに開くように、いついつまでも二人の契りは固く、この銀の要(扇子の骨を束ねている細い棒)のようである。庭には輝くほどに立派な松に枝葉が茂り、その緑の葉色はいよいよ深まっている。池は澄んだ水を湛え、波風も立たず、水面は鏡のように美しい。夫婦の仲もますます睦まじく、誠に羨ましい限りである。

[解説]
この曲は昭和9年5月に三井銀行重役の高畑勝二氏と、すえ子夫人の銀婚式を祝って作られた。すえ子夫人が蓼派の名取であったご縁で、式に招待された初代家元蓼胡蝶が自ら演奏して贈った新曲である。
胡蝶はこの曲を作るに当り、普通の小唄よりも格調高い作品をと考え、当時の小唄のヒットメーカーであった哥川亭に作詞を、作曲を吉田草紙庵に依頼した。
随所に夫妻の名前と銀婚式に因んだ文字を挿入し、節は前弾きに雅楽の調べ、唄い出しが能がかりで始まるという、ご祝儀曲に相応しく荘重でありながら、小唄らしい艶やかな節付けとなっている。以後、蓼派のみならず、他流派でも演奏されるようになり、小唄のご祝儀曲の代表曲となった。

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粋なお方

粋なお方

[解説]
大正14年、当時マツダランプ(東芝の前身)専務取締役であった木原猷胤がこの詞を掛軸にして、蓼胡蝶が新橋1丁目に小唄稽古所を開いたお祝いに贈ったものに胡蝶が節付けをした。

「蓼喰う虫も好き好き」という諺にもあるように、蓼の葉は独特の苦みがあり、めったに虫は近付かないが、玉虫だけは蓼の葉を好むことに掛けて、沢山の玉虫(弟子)を連れてくるから安心して小唄の家元になりなさいと蓼胡蝶に稽古所を開かせた民政党衆議院議員広瀬徳三氏と東京府議会議員牧野静雄氏両名の後援の意味を含めている。

[唄の意味]
粋なお方の妻(鮎に蓼酢のように相性の良い)にさせよう(風流の友にしよう)と蓼の草を植えたのは誰なのか、その温情のお蔭で胡蝶は生き生きと芸道に励んでいる。

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染めあげて

三下り

染めあげて 出たかお江戸の初茄子 色の苦労を
そのまま乗せて 篭に嬉しい 夢のあと

[内容]
鮮やかな色に染まった初茄子が篭に盛られて八百屋の店先に登場するように、恋多き稀代の舞踊家花柳寿美は全てを捨てて、舞踊家としての人生を歩み出した。酸いも甘いも嚙み分けて、儚い夢と消えた数々の恋の思い出が色気となって滲み出ているようだ。

邦枝完二作詞 蓼胡蝶作曲 昭和26年の作品
作詞の邦枝完二は学生の頃から永井荷風に心酔し、小説家になり、初代花柳寿美の一生を描いた新派「東京一代女」の原作者である。花柳寿美は新橋の芸妓を引退し、女流舞踊家として独立し、舞踊改革に挑み、当時の六代目菊五郎、三代目左団次など大御所にその技量を絶賛されたが、昭和22年、48歳の若さで急逝した。 邦枝は彼女を偲んでその一代記を小説にした頃、この小唄を作詞し、蓼胡蝶に作曲を依頼した。胡蝶は新橋の後輩でもあった寿美とは個人的にも親交が深かったこともあり、舞踊家としての独立を祝した内容に相応しく、「篭にうれしい」の篭にかけて、義太夫の「野崎の駕籠の送り」の節を曲の送りに付けるという、粋で心憎い作曲をしている。

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今宵妻

本調子

故郷に今は旅寝の物憂さを 酒にそやされ格子先
染めなす秋の色種の どの傾城を今宵妻
軒をこぼるる稲妻の そのはかなさは一夜さの
枕のみかわ 人の世もまた

[現代語訳]
故郷とはいえ、今は知る人もなく、旅寝の憂さを晴らそうと酒に力を借りて花街の格子先にぶらりとやって来た。
傾城たちは何れも秋の色に染められた衣裳で、美しさを競うように並んでいる。軒の向うからは稲妻のように華やかな見世清掻の三味線の演奏が聞こえてくるが、その儚さは一夜限りの契りばかりではなく、人の世もまた移ろい易く儚いものだなあ。

[解説]
長崎出身の野崎比古山人の作詞
昭和32年、初代蓼胡蝶最晩年の作曲で当時熱中していた大和楽を取り入れて節付けている新作物である。

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三日月の頃より

本調子

三日月の頃より待ちし今宵こそ 逢わねばすまぬ胸のうち
あれ気にかかる村雨の 霽るる思いを八尾松の
待つ間もあらでこの笑顔 嬉しい首尾ぢゃないかいな

[現代語訳]
月が三日月の頃から待ち焦がれていた逢瀬。向島の出会い茶屋八百松の小座敷で、今宵は必ず逢えると信じて待っていると村雨が降りそうな空模様になってしまった。と思う間もなく、その人が今宵の満月のような笑顔でやって来た。なんてうれしい成り行きでしょう。

[解説]
明治20年、胡蝶19歳の時の作曲。
作詞は福岡出身の政治家大隈俊武。
この頃、胡蝶は柳橋から新橋に移って2年目で、政財界の閣僚達から絶大な人気を得ていた。更に相思相愛の恋人がおり、 その贔屓筋の人々からの支援によって、その恋人と所帯を持つことが出来た。そのことを贔屓の一人大隈俊武が歌詞にして、胡蝶に節付けを依頼したのであろう。胡蝶の初々しい恋心が素直に表れている。

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今さらに

本調子

今更に愚痴は言わねど主ゆえに 捨てたこの世の玉の輿
立てし浮名も恋の意地 人がそしろが蓼の虫

[現代語訳]
今更、愚痴を言うわけではないけれど、玉の輿の縁談も貴方のために断った。恋の意地を通して浮名も立てた。
でも誰が何と非難しようが、蓼喰う虫(玉虫)の諺どおり、やはりあなたが好きなのよ。

[解説]
昭和32年作曲(胡蝶、最晩年の作品)
新作小唄の同人会「小唄火星会」の一人斎藤愚粋庵作詞。
新作小唄の名曲の一つ。

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置炬燵

三下り

置炬燵 ついうたた寝の 耳もとに そっと忍んで
夕闇の 「おや 雪かえ」 障子細めに 吹き込む風も
肌にうれしい 酔ひごこち

[現代語訳]
出会い茶屋の小座敷で恋人の来るのを待っていたら、置炬燵の暖かさに、ついうたた寝をしてしまった。夕闇のせまるように、その人がそっと忍んで来て耳元にささやいた。私は『おや、雪なのね』っと答える。細目に開けられた障子から冷たい風が吹き込んで来た。どうやら雪が降ってきたようだ。さっきまでの酒宴で火照った肌にはうれしい酔い心地となった。

[解説]
初代蓼胡蝶作曲
向島あたりの出会い茶屋で芸者と役者、武士や町人などの恋人達は逢瀬を重ねた。江戸の恋人達の冬のデートの様子を詠っている。

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白菊

本調子

白菊の目に立てて見る塵もなし 糸の音締めに夜も更けて
いなせともなき今日の月 またの逢瀬を枝折戸に
虫さえ泣いているわいな

[現代語訳]
目を凝らして見ても塵一つないほど純白の菊のような美しい人との別れの日、時の過ぎるのも忘れて小唄を楽しんだ。今宵の月はいつまでも眺めていたいほど美しい。いつかまた逢える日があるのかと思うと涙が込み上げる。庭の枝折戸の辺りで鳴いている虫の声さえ悲し気に聞こえる。

[解説]
昭和8年、三井銀行の菊本菊次郎の引退を記念して、盟友であった安田銀行の森広蔵が作詞したものに、胡蝶と新橋新寿の女将かくの共作で節を付けた。
菊本氏の菊になぞらえて、松尾芭蕉の俳句「白菊の目に立てて見る塵もなし」を唄い出しに、古曲の薗八の節を取り入れた上品な曲調となっている。業界からの引退を男女の別れの曲に託した粋な作品である。
当時、芝の紅葉館(会員制高級料亭)では多くの政財界、文化人がサロンを開いており、小唄を楽しむ会もあって、胡蝶など芸人、芸者も呼ばれていた。
「またの逢瀬を枝折戸に」は涙ぐむことを意味する「しをる」という言葉と枝折戸をかけている。

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念がとどいて

三下り

念がとどいて こうなるからは 風も嫌 雨も嫌
解けた素顔に春の酔 こちゃしっぽりと川船の
流れも深く竿の露

[現代語訳]
思いが叶って、こうなったからには、もう苦労はしたくない。
男は武士の身分を捨てて、女は芸者を止めて、町人として共に生きて行く覚悟を決めた。笑顔で見つめ合う二人。
春の夜の酔い心地。川船での深い契り、流れにまかせて進んでゆく。

[解説]
昭和26年1月の歌舞伎座の新築開場を記念した新作「箕輪の雪」のために松竹の依頼を受けて作曲した。
作詞は芝居の作者船橋聖一。蓼胡津留が歌舞伎座に二か月間出演した。主演二代目市川猿之助、四代目中村時蔵。

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