小唄について解説

小唄とは

小唄は花柳界の御座敷という特殊な世界で誕生し、江戸時代末期から明治、大正、昭和と発展し、現在まで伝えられている、粋と色気が最も大切なテーマの三味線音楽です。

花柳界と音楽文化

 三味線音楽というと歌舞伎なども同じく、何か格調高く、難しいものと思われがちですが、実際は当時の若者の最先端の音楽芸術で、その演奏者はスター的、アイドル的な存在でした。
 ヒット曲だけではなく、その演奏者のファッション、髪型生き方までが日本中を席巻したのです。あまりに過激で社会現象となったようなものは幕府から禁止令が出ることも多々あり、ビートルズやローリングストーンズなどと同じように若者文化を牽引していました。
 当時の花柳界は総合芸術教育システム(芸能以外にも高度な文化教育を施した)であり、多くの芸術家を育て、それを楽しむ文化人のサロンやファンクラブの役割も果たしていました。

小唄の特色

 小唄は撥を使わずに爪弾きの三味線のやさしい音色に乗せて、男女の微妙な恋愛心情や季節の移ろい、芝居の名場面、人生の哀歓、時事的な風刺などが洒落た詞章に凝縮されて演奏されます。唱法はあまり声を張らずにソフトに唄います。
 詩歌の世界の俳句や川柳に似ています。季節にこだわり、掛け言葉に様々な意味を込め、節には色々な邦楽の調べを取り入れて作られています。一曲の演奏時間は2分前後のものが多く、長くても4分前後です。
 小唄は能楽、古曲、歌舞伎音楽、民謡、祭囃子、相撲甚句など様々な伝統音楽のエッセンスで出来ているので、伝統音楽への入り口として実際にお稽古をするのに最適です。本来は、様々な伝統音楽を究めてから楽しむものが小唄でしたが、その逆もまた真なりで、小唄から入って、色々な邦楽の世界に出会うことが出来るのも魅力です。

小唄NOW

 終戦後、日本の経済力が高まるにつれ、政財界の料亭接待の習慣化に伴い、小唄ブームが起こり、紳士の嗜みの一つにもなり、サラリーマンやOL、主婦層にも受け入れられ、ヒット曲が数多く生まれ、レコードも沢山売れた時期もありました。ところが、バブル絶頂期に起きたカラオケブームに押され、バブル崩壊後の花柳界の衰退とともに、小唄ブームもその影響を受けるところとなりました。
 現在、小唄人口は減少しましたが、真にその音楽を楽しむ愛好家によって、古典小唄(江戸小唄等)も唄い継がれ、劇場用の新曲も数多く作られ、進化し続けております。

個人稽古やカルチャー教室では若い世代の入門も増えております。
全くの初心者の方、一度聴いてみたいと思っている方、是非一度、生の小唄演奏を聴きにホール、劇場、お稽古所見学などにお出かけ下さい。このHPにも随時演奏会やお稽古所の情報を掲載致します。

四季折々の小唄ここから

小唄四季折々

小唄の解説は、曲名をクリックして下さい。別ページで開きます。
解説:蓼 蝶弥

新年の小唄

初出見よとて

三下り 替手本調子

初出見よとて 出をかけて まず頭取の伊達姿
よい道具もち いきなポンプ組 エエずんと立てたる
梯子のり 腹亀じゃ 吹流し 逆さ大の字 ぶらぶら
谷のぞき

浮気うぐいす

本調子

浮気鶯ひいふうみ まだ住み慣れぬ庭づたひ
梅をば捨ててこませもの ほうほけきょうの約束も
憎くや隣の桃の木に

門松に

二上り

門松に一つ止まった追羽根の それから明ける年の朝
はやも三河の太夫さん やんら目出度や 鶴は千年
鳥追いが 海上はるかに 見渡せば 年始御礼は 福徳屋
供は勇みの皮羽織 エンヤリョウ 空も晴れたり 奴凧

めぐる日の

本調子

めぐる日の 春に近いとて老木の梅も若やぎて候 しほらしや しほらしや
香り床しとまちわびかねて さゝ啼きかける鶯の 来ては朝ねを起こしける
さりとは気短かな 今帯〆てゆくわいな ほうほけきょうとい人さんぢゃ

春風がそよそよ

本調子

春風がそよそよと 福は内へとこの宿へ 鬼は外へと 梅が香そゆる
雨か 雪か ままよままよ今夜も明日の晩もいつづけに しょうが酒

無季の小唄

それですもうと

本調子

それですもうと思うてかいな つのめ立つのも恋の欲
柔らじゃないが投島田 酒(ささ)がとりもつ 仲直り 仲直り

春の小唄

夜桜や

三下り  替え手本調子

夜桜や浮れ烏がまひまひと 花の木陰に誰やらが居るわいな
とぼけしゃんすな めふき柳が風にもまれて エェふうわり
ふわりと オォサさうじゃいな さうじゃわいな

八重一重

三下り

八重一重 山も朧に薄化粧 娘ざかりは よい桜花
嵐に散らで主さんに 逢ふて なまなか あと悔む
恥かしいではないかいな

春霞(浮世)

三下り

春がすみ 浮世は瓢箪さくらかな
ままよ 三度笠 あぢなもの
ぶらり ぶらりと 旅衣

春雨に(相合傘)

本調子

春雨に相合傘の柄漏りして つい濡れそめし袖と袖
たれ白壁と思ふまに 色とかかれているはいな

初夏の小唄

茶のとが

本調子

茶のとがか 寝られぬままの爪弾に 浮川竹の水調子
涙ににじむ薄月夜 暈もつ程はなけれども 曇りがちなる
わが胸を 晴らす雲間の ほととぎす

新派花柳章太郎 没後50年に際し、花柳章太郎ゆかりの小唄二題

あぢさゐ

二上り

紫陽花の かの浅葱色 かの人の 紺の明石の雨絣
その時かけていた衿の色 えぇ えぇえ しょんがえ

本牧更紗(首飾り)

六下り

をやまとは不思議なものよ花あやめ ダンスホールのくずれより
濱にむすんだかりそめの 夢がまことの首飾り
遠い日記の一駒に 忘れられない人のおもかげ

夏の小唄

上手より

本調子

上手より はやしの船や 影芝居 あやなす手先 うつし絵や
人気役者の声色も 流す隅田の 夕凉み

筆のかさ

本調子 替手三下り

筆の傘 焚いてまつ夜のかやり火に さっとふきしむ
涼風が 磯うつ汐もすいな夜に 女波男波の女夫なか
ねつかれぬ夜は なほ恋しさに 寝かさぬ時を思ひやる

川風

本調子

川風につい誘われて涼み船 文句もいつか口説して
粋なすだれの風の音に 洩れて聞ゆる忍び駒
粋な世界に照る月の中を流るる隅田川

夏の雨

本調子

夏の雨 しのぎし軒の白壁へ 憎や噂を まざまざと
相合傘に書いた文字 見てはほころぶ 片えくぼ

秋の小唄

散るはうき

本調子

散るはうき 散らぬは沈む もみぢ葉の
かげは高尾か 山川の 水の流れに 月の影

月は田毎

六下り

月は田毎にうつれども 誠の影は只一つ
行交ふ雲がぢゃまをする 実にうたてき秋の空

虫の音

本調子

虫の音を とめて嬉しき 庭づたひ 開くるしをり戸 桐一葉
えぇ憎らしい 秋の空 月はしょんぼり 雲がくれ

露は尾花

本調子

つゆは尾花と寝たといふ をばなは露とねぬといふ
あれ寝たといふねぬといふ 尾花が穂に出てあらはれた

冬の小唄

雪のあした

本調子

雪のあしたの朝ぼらけ 浪花の浦の真帆片帆
ゆききの船で便りする わたしゃこうしてゐるわいな

木枯し

三下り

木枯しのふく夜は ものを思ふかな 涙の露の菊がさね
重ぬる夜着も ひとり寝の ふけてねぬ身ぞ やるせなや

初雪に

本調子

初雪にふりこめられて 向島 二人が中に置炬燵
ささのきげんの爪弾は 好いた同士のさしむかひ
嘘が浮世か浮世が実か 誠くらべのむねと胸


小唄蓼派会

四季折々の小唄の解説

初出見よとて

三下り 替手本調子

初出見よとて 出をかけて まず頭取の伊達姿
よい道具もち いきなポンプ組 エエずんと立てたる
梯子のり 腹亀じゃ 吹流し 逆さ大の字 ぶらぶら
谷のぞき

[現代語訳]
 隅田川での町火消の組の連中の出初式を見るために華やかなお正月の出の装いの芸者衆や民衆が大勢集まっている。まず第一に火消しの長である頭取の伊達な姿。颯爽としている纏い持ち、ポンプ組も粋な連中だ。
いよいよ梯子が立てられて梯子乗りの登場だ。梯子の上で亀のように腹ばいになったり、吹流しのように梯子に直角になったり、梯子に両脚を引っ掛けて逆さにぶら下がり、大の字になって、谷を覗くような仕草をしたりというような軽業が繰り広げられる。

[解説]
 正月4日に両国で行われていた出初式の光景を歌っている。明治25年一月に歌舞伎座で初演された「梯子乗出初晴業」という清元の所作事の中で田村成義が作詞して演奏されたものである。端唄の「桜見よとて」の替え歌である。

×

浮気うぐいす

本調子

浮気鶯ひいふうみ まだ住み慣れぬ庭づたひ
梅をば捨ててこませもの ほうほけきょうの約束も
憎くや隣の桃の木に

[現代語訳]
 新顔の浮気者の鶯(若者)が一二三と調子よく、初めての庭(遊郭)にやって来て、直ぐに梅の花(花魁)を口説いては捨てるような、ちょっとませたことをする。ホウホケキョなどと鳴きながら、今日逢いに来ると言っていたのに、憎たらしいことに今日は隣の桃の木(隣の店の花魁)に留まっている。

[解説]
 まだ囀りもままならないような若い鶯が落ち着きなく、あちらこちらの枝から枝へ動いている様を遊郭の新春の風景になぞらえて歌っている。端唄の「浮気鶯梅をば捨てて隣り歩きや桃の花」から転じたという説がある。

×

散るはうき

本調子

散るはうき 散らぬは沈む もみぢ葉の
かげは高尾か 山川の 水の流れに 月の影

[現代語訳]
 散った紅葉は川面に浮いて流れ行き、まだ枝にある紅葉は水面に映って、
まるで水底に沈んでいるかのように見える。京都高雄の山の綾錦の美しさ。
渓流には秋の月が映って揺れている。

[詩の意味]
 美しい紅葉が散って、綾錦に彩られた高尾の山の姿もやがては変化して行く。水の流れに映っている月さえも常にその形を変えて行く。生々流転の理のように。

[解説]
1855年安政2年に16歳の清元お葉が作曲。江戸小唄の代表作といわれ、小唄というジャンルを確立した。
詩は出雲国松江藩七代藩主松平治郷が1806年文化3年に引退し、剃髪して、松平不昧と称し、風雅に親しんだ折に詠んだ和歌を基にしている。
「散るは浮き散らぬは沈むもみぢ葉のかげは高尾の山川の水」お葉はこの和歌の文末に「水の流れと月の影」を付けて小唄の歌詞とした。
清元お葉は名人2世清元延寿太夫の娘であり、自身も女流清元節の名人と謳われた。4世延寿太夫の妻となって夫を支え、清元節発展の功労者となった

明治になって、生々流転の意を踏まえ、いろはにほへとで替え歌が作られ、お座敷で流行した。
替え歌
色はにほへと 散りぬるを (諸行無情)
我世たれそ 常ならむ   (是生滅法)
有為の奥山 けふ越えて  (生滅滅巳)
浅き夢見し 酔ひもせす  (寂滅為楽)
一二三四五六七八九十百千万億

×

それですもうと

本調子

それですもうと思うてかいな つのめ立つのも恋の欲
柔らじゃないが投島田 酒(ささ)がとりもつ 仲直り 仲直り

[解説]
 恋人同士の痴話喧嘩を相撲用語を掛け言葉にして唄っている。
それで相撲と思うてかいな(腕)「それで済むと思っているの」
角目立つのも「関取の髷のように角を出して悋気を妬くのも」恋すればこそ。
柔じゃないが投島田「柔道のように投げを打たれて降参してしまった芸者の私」
酒が取り持つ「水入りのようにお酒がはいって、仲直りね。」
三味線の送り手(終奏)は相撲甚句の一節を取り入れている。

×

門松に

二上り

上門松に一つ止まった追羽根の それから明ける年の朝
はやも三河の太夫さん やんら目出度や 鶴は千年
鳥追いが 海上はるかに 見渡せば 年始御礼は 福徳屋
供は勇みの皮羽織 エンヤリョウ 空も晴れたり 奴凧

[現代語訳]
 羽根つきの追羽根が門松のところにとまったりして、新年の朝が始まった。
早くも三河万歳がやって来て「やれお目出度い。鶴は千年」と鼓を打って謡ったり、鳥追いも門付けをしている。
江戸湾の海上、遥か彼方を見渡せば、船が宝船のようだ。礼者(年始回りをする人)の大店の主人、福徳屋万之助には皮羽織を着た奉公人が得意げにお供をしている。 エンヤリョウと町火消の初出の木遣り歌も聞こえて来た。晴れた空の彼方に奴凧が風に乗って飛んで行く。

[解説]
 作詞田中青磁 作曲3代目清元栄次郎 昭和初期の作品
常磐津の「乗合船恵方万歳」を題材にして、江戸の両国辺りの新年の風景や風俗を表現している。

×

上手より

本調子

上手より はやしの船や 影芝居 あやなす手先 うつし絵や
人気役者の声色も 流す隅田の 夕凉み

[現代語訳]
 上流からお囃子や三味線、浄瑠璃の声とともに影芝居の船が下ってきた。
複雑な動きを見せる動画の映し絵の見事な技術やら、人気役者の声帯模写などを見聴きして喜ぶ人々の賑わいを乗せた夕凉みの船が隅田川を下り行く。

[解説]
 桜川遊孝作詞 小唄幸兵衛作曲
 江戸末期(200年前)には、外来の幻灯機を改造し、絵を描いたガラス板を木枠にはめてフィルムのようにして、和紙のスクリーンに映し出す、世界初(ディズニーより100年早い)のアニメーション動画(しかもカラー)の興行を行っていた。伴奏も、生の浄瑠璃、三味線、囃子を入れ、歌舞伎芝居のミニ版を見せたりもしたので、人気役者の台詞の声色なども演じていた。普段は花柳界のお座敷や寄席などで行われたが、夏には凉船でも興行し、大いに人気を博し、花火と共に、隅田川の夏の風物詩となっていた。(日本のアニメが優れている理由の一つには、このような歴史と伝統があるからなのです。)
 三味線の前弾きと送りに、「佃の合方」という隅田川を表現するためのメロディーが使われていて、粋な節付けとなっている。

☆ 影芝居(映し絵):現在でも伝統芸として受け継いでいる劇団(みんわ座)がある。

×

茶のとが

本調子

茶のとがか 寝られぬままの爪弾に 浮川竹の水調子
涙ににじむ薄月夜 暈もつ程はなけれども 曇りがちなる
わが胸を 晴らす雲間の ほととぎす

[現代語訳]
 お座敷で飲んだ薄茶のせいなのか、なかなか寝付けない。三味線をとって低い音締めで爪弾きをしてみる。今夜もあの方は来なかった。川竹のような浮き沈みの苦界の身を思うと涙が溢れて、薄月夜の朧な月が一層滲んで見える。月のまわりに光の輪があるほどではないから明日は雨ではないのに、心は曇ったまま明け方近くになってしまった。その時、雲の晴れ間に突然射す月光のように時鳥の美しい鳴き声が一声聞こえて来た。偶然とはいえ気分が晴れた。

[解説]
 明治中期の作で、古曲の節を取り入れたしっとりとした曲調の名曲である。
この唄の主人公は正しく遊女であるとともに時鳥でもある。遊郭のお座敷では先ず最初に薄茶を振る舞われる。抹茶は煎茶よりもカフェインが強く、眠気覚ましになる。恋人が来てくれなくて眠れないのをお座敷で飲んだ薄茶のせいだと思いたい女心を表している。明け方になって偶然、時鳥の声を聞くことが出来た。沈んだ気持ちが晴れるほど美しい一声だったという内容である。

 藤原実定の和歌「ほととぎす鳴きつる方をながむれば ただありあけの月ぞ残れる」にあるように、平安貴族の初夏の楽しみは、徹夜をしてでも時鳥の初音を聞きくことであった。それを寝られぬ夜を過ごしていただけなのに、偶然にも美しい時鳥の声を聞くことが出来たので気分も晴れたというのである。
「暈もつほどはなけれども曇りがちなるわが胸を」のところに一中節の手を入れてあるのも、古人の人々の風習に思いを馳せているからであろう。
吉原のシステムのコンセプトは源氏物語であり、平安貴族の男女交際の習慣を取り入れてあるからである。それ故に花魁の名前を源氏名という。

茶のとが:お茶は昔は貴重で高価なものであり、遊女との最初の出会いには、高級な抹茶を一服たしなむ習わしがあった。
とがとは罪科のとがである。

×

夜桜や

三下り  替え手本調子

夜桜や浮れ烏がまひまひと 花の木陰に誰やらが居るわいな
とぼけしゃんすな めふき柳が風にもまれて エェふうわり
ふわりと オォサさうじゃいな さうじゃわいな

[現代語訳]
 不夜城と呼ばれた吉原の根越して(根ごと掘り出して)植えた桜並木を見ようと浮かれた連中が格子先に詰めかけてくる。張見世の遊女達も軽口を交わしている。『花の木陰に私のお客に似た人が居るようだわ』『何をとぼけた事を云うのよ。あれは芽を吹いたばかりの柳が風にふんわりふんわり揉まれているだけじゃないの』『あれマ、そういえばそうだわね』

[解説]
 江戸末期に流行った江戸小唄で、吉原が舞台の歌舞伎の下座音楽としてもよく使われる曲である。
 吉原の夜桜は吉原三大行事の一つで、3月の1ヶ月間、山から根っこごと運んで来た桜の木を、普段は柳並木のメインストリートにずらりと並べ、お客達に夜桜見物をさせた。満開を過ぎた桜は、これから満開になる桜と入れ替えるため、遠く吉野からも運んだと言われている。お客といっても江戸だけではなく地方からも沢山の老若男女が見物に訪れたという。吉原は江戸の最大のテーマパークであった。4月1日にはすべて撤去し、明年また新たに桜並木を作るという贅沢さであった。
浮かれ烏:吉原雀と同義語で吉原を冷やかして歩く客の仇名。

×

八重一重

三下り

八重一重 山も朧に薄化粧 娘ざかりは よい桜花
嵐に散らで主さんに 逢ふて なまなか あと悔む
恥かしいではないかいな

[現代語訳]
 八重や一重の桜が咲いて、霞がかかった山は薄化粧をしているようだ。
まるで娘ざかりのように美しい桜の花も春の嵐に一瞬にして散ってしまう。私の初恋も激しい嵐にあって散ってしまった。あの人に生半可に逢わなければこんなに辛い思いもしなかったろうに、逢ってしまったことが悔やまれる。未練な思いが恥かしい。

[解説]
 幕末期の江戸端唄から写された上方小唄で作者不明である。
初めての恋を知った娘心を咲き初めた桜の花に例えて、品の良い色気を漂わせた名曲である。替え手がついて春らしい華やかさがある。

×

雪のあした

本調子

雪のあしたの朝ぼらけ 浪花の浦の真帆片帆
ゆききの船で便りする わたしゃこうしてゐるわいな

[現代語訳]
 夕べの雪が止んで明るい早朝、大阪湾に帆をいっぱいに張って行く舟や片帆だけの舟が行き来している。
あの船に便りを乗せて送りたいものだ。
私はここであなたを思って過ごしていると。

[解説]
 明け方のまだ薄暗い時間だが、夕べの雪でいつもより明るいので、浪花の海上遥か遠くの船が見える。風向きによって、真帆に(追い風を受けて、帆を正面にいっぱいに)張ったり、片帆(横風を受けて半分の帆で走行する)に張ったりして往来している。あの船に便りを乗せて、江戸にいる愛しい人に、私の気持ちを伝えたいものだ。私の恋は相思相愛なのか、片思いなのかと。
江戸から大阪の遊郭に移った遊女が、江戸の男を想って頬杖をついて部屋から海を眺めている様子が浮かんでくる。

江戸にいた三世清元順三が大阪へ遁世して、江戸への思いを寄せて作詞作曲したといわれている。

×

月は田毎

六下り

月は田毎にうつれども 誠の影は只一つ
行交ふ雲がぢゃまをする 実にうたてき秋の空

[現代語訳]
 水を張った棚田の一つ一つに月が映っているけれど、本当の月はたった一つ。夜空の月を仰ぎ見ると行き交う雲が邪魔をして見え隠れしている。本当に厭わしい秋の空である。

[内容]
 廓の遊女にはお客が沢山で疑似恋愛の相手は田毎の月のように沢山いるけれど、間夫(本当の恋人)は只一人、貴方だけなのに、男心と秋の空とはよく言ったもので、廓の掟やら、競争相手の遊女たちに邪魔をされて、貴方の気持ちが見えてこない。実に不快な秋の空である。

[解説]
 三世清元順三作曲
信州の月見の名所姥捨山一帯の棚田の月を詠った和歌に補筆をしたもの。
六下りの調子で節付けをしていて、しっとりと哀愁のある曲となっている。

×

筆のかさ

本調子 替手三下り

筆の傘 焚いてまつ夜のかやり火に さっとふきしむ
涼風が 磯うつ汐もすいな夜に 女波男波の女夫なか
ねつかれぬ夜は なほ恋しさに 寝かさぬ時を思ひやる

[現代語訳]
 筆の鞘(さや)の蚊遣り火を焚いて来ぬ人を待っている。磯の涼風が吹き渡り、身に染み入るようだ。女波男波が折り重なるように打ち寄せては、潮騒となって聞こえてくる。こんなに粋な夜なのに、今夜も独り寝となってしまうのか。恋しさは一層募り、一晩中愛し合った時のことが思い出されてならない。

[解説]
 三世清元斎兵衛作曲
江戸時代初期の女流俳人尼芳樹の俳句「筆の傘焚いて待つ夜の蚊遣りかな」をモチーフに作られた上方唄「夕空」を小唄にアレンジした作品。
夏の一夜、来ぬ人を待ち焦がれる女心の切なさを唄っている。当時江戸湾に面していた品川の妓楼での宴で、即興で作ったとされる歌詞に清元斎兵衛が節を付けた。蚊遣り火を前に潮騒を聞きながら上方唄の夕空が話題となったのであろう。
蚊遣り火の小さな炎のように恋焦がれる女心。磯の涼風に蚊遣り火も揺れて、待ち人の来ない寂寥感を表し、打ち寄せる波に色事をかけて表現しているところが心憎い作詞である。

筆の傘(筆の鞘):昔は葦を切って筆先のキャップに使っていたもので、古くなった鞘を蜜柑の皮と一緒に焚くと蚊が嫌う煙りと香りが立った。当時の筆記用具は筆がほとんどで、当然、筆の鞘も沢山あった。

×

あぢさゐ

二上り

紫陽花の かの浅葱色 かの人の 紺の明石の雨絣
その時かけていた衿の色 えぇ えぇえ しょんがえ

[要約]
 花街の路地に今年も紫陽花が咲いた。あの浅葱色(薄い水色)は、昔惚れた女が初めての逢瀬の時、長襦袢にかけていた半衿の色と同じだ。紺色の明石縮みの雨絣を着ていたなぁ。女心は七変化。突然別れを告げられて、今は帰らぬ人となってしまった。未練だけが残っている。

[解説]
 久保田万太郎作詞 田村法一作曲
永井荷風の原作を久保田万太郎が脚色して上演され、花柳章太郎の名演で知られる新派の名舞台「あぢさゐ」の主人公「下谷の芸者君香」をイメージして作られた。痴情のもつれに、刃傷沙汰で命を落とした薄幸の女性であった。
 紺の明石の雨絣に「恋心を明かしてしっぽりと過ごした、あの時のあの人の半衿の色も浅葱色だった」という意味を掛けている。紫陽花の別名「七変化」にかけて、移り気な女心も意味している。

 新潟の十日町明石縮みは絹の絣織りで、雨のような点線模様が入っていて、粋でお洒落な着物である。

紫陽花やきのふの誠けふの嘘 正岡子規

×

本牧更紗(首飾り)

六下り

をやまとは不思議なものよ花あやめ ダンスホールのくずれより
濱にむすんだかりそめの 夢がまことの首飾り
遠い日記の一駒に 忘れられない人のおもかげ

[要約]
 女形というのは不思議なものだ。花あやめのように美しい優雅な雰囲気のある女性に横浜の本牧亭というダンスホールで出逢い、お互いに一目惚れ、仮初めの契りを交わしたが真実の愛を感じて、また逢うという約束の証しに、その時彼女が身に着けていた首飾りを貰って帰った。しかし運命は二人に再会を許さなかった。遠い昔の日記には忘れられない女性の面影が綴られていた。

[解説]
 金子千章作詞 鳳冨美作曲 昭和35年5月の作品
花柳章太郎と金子千章とで本牧のダンスホールに芝居の取材で訪れた時の実話である。東京に帰ってから章太郎はその首飾りを身に着けて舞台を務め、その芝居は大入りを納めた。千穐楽を終えて約束どおり横浜に会いに行くと、外国人の妻であったその人は、心変わりを見破られ、夫の凶弾に帰らぬ人となっていた。
本牧更紗とはその女性が更紗模様の着物を着ていたからと推測される。
花あやめは江戸時代の名女形芳澤あやめにかけていると思われる。

昭和34年には花柳章太郎自身が書いた小説「本牧更紗」が章太郎の朗読によるラジオドラマとして放送された。

資料提供 蓼胡一舟

×

春霞(浮世)

三下り

春がすみ 浮世は瓢箪さくらかな
ままよ 三度笠 あぢなもの
ぶらり ぶらりと 旅衣

[現代語訳]
 春の霞が立ち、世の中は瓢箪の川流れのように浮き立ち、そろそろ桜も咲いてきた。
えーいどうともなれと浮世のしがらみは皆捨てて、三度笠片手にぶらりと当ての無い旅に行ってしまいたい。

[解説]
 久本露山作詞、吉田草紙庵作曲の昭和初期の作品
作者は奥の細道に旅立った松尾芭蕉を気取って「風流とはこういうものなのさ」と言っているようだ。
長閑な春の気分満点の小唄。瓢箪桜という江戸彼岸桜もある。

×

春雨に(相合傘)

本調子

春雨に相合傘の柄漏りして つい濡れそめし袖と袖
たれ白壁と思ふまに 色とかかれているはいな

[現代語訳]
 ばったり出会ったちょっと好い男、ふいの春雨に傘は一つ、どちらからともなく相合傘の道行となって、二人して傘の柄を持っていたら、雨水が柄漏りしてお互いの袖が濡れたので、ちょっと乾かして行こうかと料理茶屋に寄り、深い仲となってしまった。まだ誰にも知られていないと思っていたら、ほどなく、通りすがりの白壁に二人名前の相合傘が落書きされていた。

[解説]
 半井桃水作詞、四世歌沢寅右衛門作曲、初代堀小多満小唄作曲
明治初期の歌沢を大正時代に小唄に写したもの。
今も昔も変わらぬゴシップの種は尽きません。昔は料亭や屋敷の白壁が情報メディアとなっていたようです。
「柄漏り(えもり)」= 昔の唐傘は和紙に蝋を塗ったものを貼り合わせてあるので、傘が古くなったり、
強い雨が降ったりすると合わせ目から雨水が漏れて柄を伝って手や袖が濡れた。
「色になる」=男女の深い仲になる。

×

めぐる日の

本調子

めぐる日の 春に近いとて老木の梅も若やぎて候 しほらしや しほらしや
香り床しとまちわびかねて さゝ啼きかける鶯の 来ては朝ねを起こしける
さりとは気短かな 今帯〆てゆくわいな ほうほけきょうとい人さんぢゃ

[現代語訳]
 新しい年がめぐってきて、春も近いので老木の梅も蕾が綻んできた。その品の良い香りに待ちきれず、未熟な鶯が飛んで来てはたどたどしく啼いている。その鶯に似て、朝早くから私を起こしに来る若者がいる。なんて気短な人かしら。今すぐに着替えて行きますよ。ちょっと気の利かない人なのね。

[解説]
 江戸末期に流行した端唄から写したもの。歌舞伎舞踊の常磐津の「どんつく」にも挿入されている正月に因んだ作品。
廓や花街では元旦の朝に若水を汲んでお濃茶を点て、お屠蘇を祝い、獅子舞や占いなど縁起物の門付けに祝儀をやったりする風習があり、それを共に過ごしてくれる恋人が朝早くからやって来た。この唄の恋人はきっと年下の若者で元旦の早朝朝寝をしていた芸者を起こしてしまう。気疎い(うとましい)と言いながらも満更でもない女ごころである。

×

春風がそよそよ

本調子

春風がそよそよと 福は内へとこの宿へ 鬼は外へと 梅が香そゆる
雨か 雪か ままよままよ今夜も明日の晩もいつづけに しょうが酒

[現代語訳]
 節分の夜、春風に後押しされて、福が内へやってくるようにこの店へ入ってしまった。鬼は外へと外を見ればお庭の梅の木がほのかな香りを漂わせている(梅の香のようないい女に出逢えたという意味)。そうこうしているうちに雨やら雪やら降ってきた。えーいどうなろうとかまわない、今夜も明日の晩もこのまま生姜酒でも飲みながら、居続けしようじゃないか。

[解説]
 明治中期の作で、本歌は「山谷の小舟」という吉原通いの様子を歌った小唄であるが、その替え歌で節分の唄になっている。こちらのほうが内容的に優れているため、本歌よりも有名になり、独立して唄われるようになったようだ。
 春風が吹くと福は内をかけ、鬼は外とお庭の外が掛け言葉で、梅が香そゆるで花魁の存在を表し、居続けしようと生姜酒がかけてある。詞使いが巧で洒落ている。

×

木枯し

三下り

木枯しのふく夜は ものを思ふかな 涙の露の菊がさね
重ぬる夜着も ひとり寝の ふけてねぬ身ぞ やるせなや

[現代語訳]
 木枯しの吹く夜は、恋しい人のことを思わずにはいられない。菊に降りる露のように涙が止めどなく溢れ、袖を濡らすばかり。せめて夢の中で逢いたいと裏返しにして重ねた夜着だけれど、夜が更けても眠れないので夢を見ることさえ出来ない。独り寝のこの身が何ともやるせない。

[解説]
 筆者の独断ではあるが、この曲は「壺坂霊験記」で沢一が弾き語る地歌の「菊の露」から作詞作曲にヒントを得ているように思われる。一説には「艶姿女舞衣」のお園の心情を詠っているとされているが、遊女が別れた男を想って眠れぬ夜を過ごしている様子という方が自然であろう。
 遊郭では遊女は平安時代の男女の恋愛作法を踏襲していて、お客とは別に間夫という恋人を持つことを許されていた。遊郭の営業が終了する引け四ツ(深夜0時)が過ぎてお客が帰った後に間夫が通ってくるのである。木枯しの吹く夜に、遊女が、かつて恋した男を想って、寂しさが募り、涙に暮れて、せめて夢の中で逢いたいと夜着を重ねて寝ようとするが、眠れないので夢を見ることさえ出来ないという、つらくてやるせない女ごころを唄っている。
 夜着とは、夜中に訪れるとされていた魔物や妖怪などから身を守るために、魔除けの模様の刺繍や染が施されている、所謂「掻巻(かいまき)」の掛布団で一襲(かさね)と数える。古今和歌集の小野小町の「いとせめて恋しきときはぬばたまの夜の衣をかへしてぞ着る」という和歌にあるように、古の人々は、夢の中で恋人に逢えるとそれが正夢になると信じていたため、魔除けの模様があると夢に入り込もうとする人が入れないので夜着を裏返してかけるという風習があった。その和歌をも踏まえての作詞と思われる。

×

初雪に

本調子

初雪にふりこめられて 向島 二人が中に置炬燵
ささのきげんの爪弾は 好いた同士のさしむかひ
嘘が浮世か浮世が実か 誠くらべのむねと胸

[現代語訳]
 向島の隠れ茶屋で初めての逢瀬。図らずも初雪に降りこめられて、帰ることも出来なくなった。置炬燵を挟んで、ほろ酔い機嫌。女は三味線を爪弾き、男は口説き文句を口遊む。嘘が当たり前の浮世なのか、それとも浮世にこそ真実の恋が生まれるというのか、恋の手管を競いつつ、互いの胸の内を探り合い、むねと胸を合わせる二人。

[解説]
 初代清元菊寿太夫の作詞作曲で明治二十年頃の作品と伝えられている。
江戸から昭和初期にかけてのデートスポット向島にはお忍びで行くのにうってつけの茶屋(食事も出来て宿泊も可能)が点在していた。
筆者の想像では女は今売れっ子の芸者、男はおそらく人気絶頂のシンガー(清元の太夫)。幻想的な白い雪、美しい恋人同士、熱い炭火の置炬燵、差し向かいの美酒、三味線と唄の甘美な調べ、しんしんと更けて行く夜、絵空事のような世界にも誠の恋は生まれるのか。この唄のキーワード「嘘が浮世か浮世が実か」を実に巧みに表現している優れた作品である。

×

虫の音

本調子

虫の音を とめて嬉しき 庭づたひ 開くるしをり戸 桐一葉
えぇ憎らしい 秋の空 月はしょんぼり 雲がくれ

[現代語訳]
 虫の音がぴたりと止んだので、待っていた人が来たかと思い、うきうきしながら、庭に出て柴折戸を開けてみたら、桐の枯葉が一枚落ちているだけであった。
憎らしい男心と秋の空。私の心を映すかのように月までが雲に隠れて寂しい夜になってしまった。

[解説]
作者不明であるが、明治期の代表的な秋の小唄である。
 芸者が恋人と約束をして、料理茶屋の離れ座敷で待ち侘びていたところ、庭で鳴いている虫の音がぴたりと止んだので、やっと彼が来てくれたと思い、庭に飛び出して柴折戸を開けたら、そこには大きな桐の枯葉が一枚落ちているだけだった。(桐一葉は秋の季語で大きな桐の枯葉が落ちる時は音を立てて落ちるので、虫が一瞬鳴き止むのである。秋が来た事の象徴として使われる。)虫の鳴き止んだ原因が桐一葉だと解ってがっかりしたことと、秋の空という言葉だけで男が心変わりをしたことを表現し、ついさっきまで秋の澄んだ空に煌々と輝いていた月に雲がかかって暗くなってしまったことと、自分の心がしょんぼりと暗くなったことにかけている。(柴折戸は大抵は門から玄関への通路と庭との仕切りに設置されている。雑木や竹などを折って作られた小さな仕切り扉である。料理茶屋は恋人達の逢引の場所として利用されていた。)

×

露は尾花

本調子

つゆは尾花と寝たといふ をばなは露とねぬといふ
あれ寝たといふねぬといふ 尾花が穂に出てあらはれた

[現代語訳]
 露は尾花といい仲になったというが、尾花はそれは違いますという。露は白状しているのに、尾花は白を切っている。だが待てよ。尾花の頬は赤く染まって、色にでているよ。

[解説]
 古い上方系の端唄を小唄に移した物で、これぞ小唄という洒落た唄である。
擬人法であるが、男を露に例え、女を尾花に例えて、それが一層、色気を増す効果を出している。尾花は秋も深まると表面は白い穂であるが、その中は赤い実が膨らんでくる。頬が赤くなって本心が顕れたともとれるし、子供が出来ているという意味にもとれる。歌舞伎の下座音楽にも使われる。
万葉集の「秋づけば尾花が上に置く露の消ぬべくも吾は思ほゆるかも」の和歌からとられているところが江戸時代の庶民の教養の高さがうかがえる。

×

川風

本調子

川風につい誘われて涼み船 文句もいつか口説して
粋なすだれの風の音に 洩れて聞ゆる忍び駒
粋な世界に照る月の中を流るる隅田川

[現代語訳]
 夕暮れに涼しい川風が吹いてきた。好きな人につい誘われるままに乗った涼み船。久しぶりの逢瀬に愚痴を言ったり、すねてみたり、甘えたり、そのうちふっと引き寄せられて・・・船頭の粋な計らいで下ろされた簾は風に揺れ、忍び駒で弾く三味線の調べのような睦言が洩れて聞こえてくる。なんという粋な世界。川面を照らす月の影がさざ波にちらちら揺れて、夢のようなひとときが流れるように過ぎて行く隅田川。(忍び駒は三味線の音を響かせないための練習用の特殊な駒)

[人気のデートエリア隅田川]
 江戸時代から昭和の初期まで、隅田川は人気のデートスポットであった。大抵は 両国、柳橋あたりの船着き場から屋形船に乗って、向島あたりにある船宿や料理茶屋まで行き、逢瀬を楽しむのがお決まりのコースである。屋形船の中は小さな座敷の設え、お酒も飲めて、愛し合うことも。夏は簾、冬は障子で外からは中がみえなくなるようになっている。戦後の数年までは隅田川の護岸工事もなく、昔のままの風光明媚な隅田川河畔で、月雪花と花火の名所がそこここに点在していた。向島の景色の名所には別荘や妾宅が沢山あった。大きな屋敷には自前の船着き場があり、舟宿もたくさんあり、江戸中に水路が張り巡らされ、江戸は水の都であった。

×

夏の雨

本調子

夏の雨 しのぎし軒の白壁へ 憎や噂を まざまざと
相合傘に書いた文字 見てはほころぶ 片えくぼ

[現代語訳]
 突然の夏の雨、慌てて雨宿りした軒下の白壁に私と人気役者の名前の相合傘がまざまざと画かれている。誰が流したのか、ついに噂になってしまった私の秘密の恋。憎いけれど、嬉しくもあり、見る度に微笑んでしまう女心。

[解説]
 ざーっという激しい雨音、慌てて軒下に駆け込んだ時の息遣い、白い壁と黒々と書かれた落書き、薄物の粋な着物姿の芸者の驚きの顔と少し落着いて微笑む顔という起承転結、比較対象の妙が際立っていて、芸者の濡れたほつれ髪まで見えてくる、まるで浮世絵か芝居の一場面のようなドラマティックな内容である。
 大正時代、初代永井ひろの作詞作曲による。小唄の解説書には落書きされた芸者は永井ひろ自身ではなく、当時売出しの若手芸者と人気役者のゴシップを唄にしたとされているが、作者自身も有名な歌舞伎役者との恋愛経験があり、自分の思いも重ねて作曲したと思われる。噂を書かれた芸者の気持ちとして唄う方が自然であろう。

×